言語化するということ
意識高い系の人々が言語化言語化だったり情報の整理とバカの一つ覚えのようにいうので言語化言語化うるせぇなと思ってました
巷では言語化するメリットとして、その言語化した言葉を聞いた人が誰かに願いを叶えてもらいやすいということだったり、自己分析に使えるなどといったことが大きな理由です
ただ、まずその自己分析は本当にあってるのか?と疑問が湧いてきます
感情の下位互換である言語を使って何かの結論を出すことはとても不確定要素の多いことだと思います
例えば、言語化とは採用面接、サラリーマンの評価、心理学や占いに用いられます
ただ、どれもこれといったメリットだらけの方法はありません
全て評価の方法にしろ、デメリットが存在します
それは全員違う感性持ってるのをわずかな量の単語を使ってうまくまとめることだからです
感情が言語に変換されるとき、圧倒的量の言葉にならない何かがこぼれ落ちていきます
結局のところ、一番正しいのは何かというと本能、感性ではないでしょうか
条件反射ではなく動物としての本能、感性です
美しいと感じることだったり、感動することに従えるなら、それが正解に近いかもしれない
そしてそれを持っているのは大人ではなく小学生や幼稚園児かもしれません
子供が虫をなんの感情もなく殺していたなんて話もあるので本能や感性も危険じゃないかと思いますが、個人的には人間は痛みを知っていくことでそういった行動は無くなっていくと思います
知識を知ることではなく、痛みを知ることです
動物とはそういうもので、組織だった犯罪、戦争や鬱を起こさないのは痛みを知っているからです
個人的には痛みを知っている感性で生きる人間が適切だと思います
大人になると知識、論理という物に縛られていき、ジョージオーウェルの小説、1984年のようにいつしか矛盾さえ、論理で説明するようになります
論理は、何かを選ぶ動機として弱すぎるし、慎重、正確になり遅すぎる、そして失敗を許されず自分を縛ってしまう
ただ、安心できるからみんな使うのです
論理を構成すると例えば、企業のマーケティング担当がこの有名人は100万人のフォロワーがいるから、この人に商品の購買意欲の喚起を促してもらおうということです
そんな物は意味がないし、購買意欲を喚起しなくても売れる物は売れる
今は必要ない物を売りつけすぎている時代だと思う
(その点で自分はミニマリストになっている部分もある)
そして100万人フォロワーがいるから一人いくら見込みで、色々足し引きして、売り上げ100万円アップのように目標を設定しますが、売り上げは絶対に階段状には上がりませんし、フォロワーがいるから売れるわけでもないです
ぶっちゃけ誰が何を買ったかなんて論理では説明できないのです
ですが、その数字を持ってこられたら社長はGOサインを出します
安心できるからです
数字が言っていたから万が一失敗しても数字の責任であって自分の責任ではないという安心感が得られるからです
そしてそのプロジェクトがめでたく失敗に終わって、各々評価をする期間に突入しますがそれを無理やり評価しようとしてもできません
前述したように全て評価の方法にしろ、デメリットが存在するからです
人間が人間を評価することは、哲学の世界でも議論されていますが、ほとんど不可能に近いでしょう
そして挙げ句の果てにベンチャー企業なら毎期のように組織体制が変わり、評価の前提が崩壊します
また上司が変わっても前提が崩壊します
そして評価に一喜一憂していると、いい時もありますが、鬱状態のようになってしまう人もいます
鬱になるというのは相手がみる自分と自分がみる世界との論理が矛盾し始めるからです
結論、評価なんて適当でいいということです
なんというか、継続するのは前提ですが、今日にでもプロレベルになる位の直感があった方がいいと思います
そして次の日にやってみてダメだなと直感してやめるくらいの責任感の無さも必要だと思う
言語化することで自分に変な約束を取り付けることはしなくていいです
言語化することで感覚的な判断や動きを鈍らせる必要はないと思います
おわり