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「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」映画感想

まず断っておきますが右翼でも左翼でもありません笑

太く短い人生を生きた人物

太く短い人生を生きた人物とは誰か?と問われると

誰が思い浮かびますか?

マイケルジャクソンか、太宰治か、

それとも幕末を生きた坂本龍馬か、高杉晋作や沖田総司か

若いと定義するのは何歳までかと言う話は置いておいて

個人的に”太く短い人生”と聞いて一番先に思い出す人物が三島由紀夫です

今でいう複業家でもあり

知能と武術

いろんなことに興味を持って、かつ小説の分野では川端康成と

初のノーベル文学賞を争うくらいに極めた

人でもあります

また近代ゴリラと呼ばれるくらい

筋トレを愛した人で

小説家でありながら、武闘派という

思想ある武闘派でした

それでいて人のごとく愛を知り

また闘争を知りながら

歴史という巨大なものに対峙し

最終的に国を巻き込んだマスター○ーションをし

ユーモアを持ちながら

この世を去るという

まさに厨二病滴る人物です

そのペース配分が圧倒的でまさに天才とは異常にハイペースな奴のことを言うのかも

と思わせられる

そして頭が良すぎた故のある種の悲しさとユーモアがとても

アイロニカルで、魅力的です

三島由紀夫vs東大全共闘

まずこの映画はドキュメンタリーで全て実録で

その実録に50年経った今に生きる当事者のインタビューを載せているような感じでした

前提として

東大全共闘はリベラル(自由主義、新しいものが大好き)で三島由紀夫は保守(古い伝統、良い日本がすき)

つまり東大全共闘は左翼の極左、三島由紀夫は右翼の天皇崇拝者だった

三島由紀夫vs東大全共闘と言うのは右翼と左翼の激突、直接対決と呼ばれてきた

ただこれは、実は右左の議論は本質的ではなく

両者とも反米愛国主義の塊であると劇中であり、確かにそうだと納得しました

喩えるなら

この対決は井戸に入れられて、なんで俺らはこんな暗い井戸にいるんだと叫ぶ二匹の蛙のようなもので

実はそこに加害者はいない

二匹の鬱憤は井戸か、井戸に放り込んだ大きな何者かに向けられるはずで

井戸を絶賛作成中に生きていた敗北感をもったカエルである三島由紀夫は

直感的にそう感じ取っていた

それでも見てきたものを覆すことはできず、

時間を超えることもできず、

ただ、言葉で以って関係性を紡ぐことに終始した

東大全共闘はカエル2世のようなものだ

だから井戸との直接的な関係性はない

ただ、高く、暗い井戸は見える

だから我々と井戸との関係性を

変容させて壊そうじゃないかと提案している

と言う状態

もちろんこの喩えでは井戸は日本政府

投げ入れたのは第二次世界大戦において日本を破ったアメリカと言うことになる

つまりこの論争を左翼だ右翼だ

と言っているのでは本質は見えない

三島由紀夫の人物像、歴史背景を考えると

感傷的な心と、論理的な振る舞い、行動力を持ち合わせて

ある種自己破壊願望も強い

そして行動力を最優先に掲げている

というひねくれた人物であることがわかる

それは多感な10代を第二次世界大戦末期に生きたから仕方ないとも言える

同世代が死んでいって、なすすべもなくやられた10代、

そして天皇至上から人間宣言が行われて

三島由紀夫は天皇の存在や国の存在を疑い始めた

ただ、戦後を生きるにつれ、日本の悪いところを

叩くために天皇の存在を今の日本の批判材料にしたのではないか

それは歴史に忠実だったし

有利な方、人気な方へ簡単に流れる日本人が嫌いだったからでもある

東大全共闘は自由主義、リベラルとして

歴史を捨て、解放区を得て空から突き刺しにいったと瞬間というのが

三島由紀夫vs東大全共闘の討論であったのかもしれないと思った

まとめ

言葉が力をもつ最後の時代と呼ばれたこの時代

三島由紀夫はこの討論の中で言葉は翼を持ってこの教室を飛び回るといったが

三島由紀夫が死んだ今も50年以上言葉は映像として

残っている

これは本当に歴史の証左として面白いし

壮観だった

この人たちの論争はユーモアがあって

これがちゃんと頭のいい頭脳を使った論戦かと思わせられた

ぜひ観て欲しい映画(ドキュメンタリー)です

この三島由紀夫vs東大全共闘と言う映画のあとに

Netflixでテラスハウスを観たんですが

このテラスハウスの意識高い社長を観た三島由紀夫はなんて言うだろうかと

思ったらとても笑えてきた