#blender2.9 #Aftereffects #3DCG

「ニコニコ哲学」競争はしない。金もうけも諦める。でも生き残るために良く考える

川上量生という人間

哲学書なのか、自己啓発本なのか、伝記なのか、良くわからず買っていました

理由はcakeというnoteのようなサービスでこの著者(ドワンゴ創業者)の連載があって読んでいたら考え方が面白かったからです

最初のイメージは昔著者の川上さんがグロテスクな3DCGのアニメーションを宮崎駿さんに見せ、人間に対する冒涜だ!と怒られてるのをみてこの人は賢いけど情緒的なバカだなと思っていたんですが、最近N高等学校で色々と動いていたり、考え方がより根源的、哲学的だったので興味を持ちました

基本的にコンプレックスのあるオタクなんだと思います

そして自分にないものを考え続け、自覚しているオタクでもあります

そして全ての物事を欲望だと喝破し面白さに重きを置いていくという生き方をしている人だという印象を受けました

やりたい事より本能に従う

著者は人生においてやりたいことがなければならないということが不自然だと言っています

確かに人間はやりたいことをやろうとするがあまり、過酷な労働をしたりしてしまう傾向もあります

なのでまずは本能を優先して良く寝るとか良く食べるとかそういうことを大事にしていくのが自然体だと言っています

ただ食べて寝るだけの人生を送っていると人には自尊心という”本能”があるらしく、こんな生活じゃダメだとなるそうです

そして自分の中にある承認欲求が、欲望として夢に変わっていくという工程を踏みます

夢を持っている人は確かに、承認欲求ですね

自分はどんなに他人のためにやる、環境のためにやるということすらも承認欲求だと思います

それは欲望としてしっかり客観的に見なければなりません

欲望を夢と言ってしまっている状態は、客観的に見たら宗教にハマっている状態かもしれません

論理的に考えて醜く無いスタンスは愉快犯のスタンスかもしれないというのが著者の主張でした

多いに賛成できる部分でした

結局頭のいい人はどこにいるの?

とはいえ愉快犯など多くいません

日本の頭のいい人は結局どこにいるのでしょうか?

著者はだいたいは金融業界か商社にいるか省庁にいると言っています

まぁ確かにそうです

給料がいいのはその辺です

そして賢い人にある良くあるパターンは、賢すぎて働かなくなるということです

彼らが得意とするのは、何も持たず、生み出さず、リスクを回避する能力です

つまり寄生のノウハウです

自分ではリスクを取らず、うまく他の誰かにリスクを取らせる

それが資本主義業界での”賢い”の定義なんだそうです

対して頭の悪い人はどうするのかというと夢を追いかけちゃうそうです

ただ賢くても、働く人もいます

なぜなら旨い汁を吸っているだけでは面白く無いからです

そこに美学があるといいます

正しい使命感を持って辛いことをやるより、バカなことを一生懸命やる

それが著者の考える愉快犯だそうです

深く考えてますね、、、

人間の脳はパターン認識だから論理より直感の方が先行する

直感を再構成すると論理になる

論理とはあくまで説明の為のツールに過ぎない

なので論理より直感の方が先行し、正しいことも多いとのことでした

確かにそうですね

仕事では確証が欲しいとやりたがらないという状態になっていますが、まさにその臆病さがあるからこそ人は論理を重用するのかもしれません

論理を重要視すればナチスの優生学が正当化されたり、遺伝子操作が良いものとされてしまうかもしれません

理屈よりも文系っぽい優しさが必要な時もあるという教訓でした

プラットフォーム、クリエイターはオープンになるほど、多様性は減っていく

小説投稿サイトは上位が全て同じようなタイトルで占められていると聞きます

いわゆる転生系ですね

ニコニコ動画でも何かが流行るとランキングがそれ一色になってしまうと言うことが発生するそうです

これはなぜかというとクリエイターの競争相手が多いからです

プラットフォームに投稿する先駆的なクリエイターはメリットは多いですが、いずれクリエイターが増え、ユーザーが増えて市場が大きくなると、クリエイターは市場の要請に応えた作品を作るようになります

なのでランキング上位に来るのはユーザーの欲望を反映した全部似たようなものになります

“個人的に何を作るのも勝手”ですが、”人気になったり、売れたりするもの”の自由度は市場の成長とともに減っていきます

つまりオープンになる程多様性は少なくなって行ってしまうのです

アニメ制作のジブリが自分の作りたいものを作れているのは競争相手が少なく、ブランド化されているからです

クリエイターはブランドを貯められる仕組みがあったほうがいいし、

プラットフォーム側は、クリエイターを新陳代謝するか、ランキングを新陳代謝していかないとプラットフォームとして危うくなります

恋愛ジャンルとか、冒険ものなどで区分けする工夫は出来ると思いますが

凝り固まったプラットフォームの例で言うと例えばブロガー、などでは今からプロブロガーを目指す人は少なくなっているなどの状態です

しかもプロブロガー界隈はいわゆるアフィリエイトゴリ押し系やネットワークビジネスのブロガーが上位に入るという多様性の無い状態になっています

初期の頃はいろんなブログサイトを作っている人が居て楽しそうでしたが、、、

プラットフォーマーが力を持ち、クリエイターがブランド力を持たず飼い慣らされるとクリエイターの立場が弱くなります

確かにこれは膝を打つ主張でした

プラットフォーマーはコンテンツを客寄せの道具にしてはいけない、自分で作れ

プラットフォーマーはコンテンツを安売りすることでユーザーを集めてはいけないという主張です

プラットフォームはユーザー数が増えたらどうにか回収出来るからと思ってコンテンツを安くしてはいけない

そうするとユーザーもプラットフォームではなくコンテンツだけを好きになり当たり外れが激しくなり、コンテンツ供給側は安値で大量消費され、クリエイターに制作資金が回らなくなります

これはまさにTVアニメのビジネスモデルを聞いてるようでした

TV放送をプラットフォーマーとするなら、コンテンツが安売りのスーパーの特売の卵になり下ってはいけない

ただ、今はネットフリックス、Amazonプライムなどサブスクリプションで稼いでるプラットフォーマーが多いですね

しかもコンテンツを作ってもいるのでTV局がインターネットに負けるのは必然だなと思います

メディアの使命が批判である状態はもう終わった

ニコニコ動画はただただニュースを垂れ流すと言うのを目標にしているそうです

理由はあらゆる情報というのは少なからず偏っているからだそうです

ヘイトスピーチもヘイトスピーチの内容を取り締まってしまうと解釈で揉めることが必ず出てきます

なので内容ではなく、手法を取締るという方法をとるそうです

偽装アカウントを使うユーザーがいたらそれはダメだよと促すなどですね

確かにネットはインタラクティブなので情報に対して、意見を添えるよりいろんな箇所から情報を持ってきて情報量を増やし、ユーザー同士で議論させた方がいい気がします

終わりに

川上さんは数年先も見てニコニコ宣言という将来ネットが人間と融合するまでになった時、どう人々はテクノロジーと関わっていくかなどを詳しく考えたりしていて資本主義に囚われない考え方を持っている部分はとても好きでした

どこまでも”人間的”で、感動映画を見終わった後の”人間的だなぁ、、、”というポジティブな人間性ではなく、残酷な部分も併せ持っている意味での”人間的”だという印象を受けました

宮崎駿にキモいアニメーションをプレゼンしちゃうのは、シンプルに気持ち悪いオタクそのものだなぁと思えますが色々壮大に考えている人でした笑

おわり