1Q84村上春樹

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晴耕雨読

のような毎日

ここ数日はずっと村上春樹の1Q84を読んでいる

昨日はちょっと特別で北海道から友達が東京に舞い戻ってきてて

4人で川崎で落ち合って、スケボーしに新横にいって全身筋肉痛でした

一回ストリートでスケボーでこけてタクシーに轢かれかけた

こけたところを急ブレーキでタクシーが突っ込んできて死にかけた

そのあと川崎のムラスポ寄って新横のパークいったら久しぶりな人結構いたし割と人口密度低くてスイスイ滑れて新横通おうかなと思い始めた

ラインは交換してないけど行ったら仲良い感じの友達いっぱいいるし

そのくらいがちょうどいい

冬は夜がすぐ来るからあかりのあるところは重宝する

話を戻して

「1984」と言えばジョージオーウェルが有名ですが、というかジョージオーウェルの代表作ですが(ビッグブラザーは今や世界で通用するメタファーに違いない)

村上春樹のも読んどかねばという謎の収集心のようなもので

1Q84を手に取った

けど

村上春樹はかき回しがめちゃめちゃ回りくどいな!!(辛口ですいません)

ギリギリ読めるけどスマホに染まったらもう読めない

つか常人では結末を待てないと思う

そういう時代だからしょうがないけど

伏線とはわかっているものの、書き回しが長すぎる

だって

1500ページだよ

文庫本7冊分くらい

長編だからしょうがないんだと思うけど

一冊の内容を三冊にしているように見えた

作者の味が弱まるかはともかく削ろうと思えば削れる

自分だったら削る

ともあれ姿勢を変えながら何時間も読みつづけるなかなかタフな読書でした

内容は面白かったです

言い回しでうまいなというところはあって

つい読んじゃう

あと

教祖は勃起していたが何とかかんとかでみたいな描写とNHKの集金人の描写、愛人とセックスなど

これ長々といるか?

読まされてる気分にもなれよという意味不明に丁寧すぎる描写がわりかしあった

一点に固執したように長々と書くのは村上春樹の特徴なのだろうか

この文章英訳しているどこかの外人はバカらしくてしょうがないに違いない

ファッキンクレイジージャパニーズとか言ってる筈

構成は正直冗長だが、登場人物はよかった

そして登場人物の一人、青豆(ネーミングセンスははてな)が言ったセリフ

”無力感”とは人間の最大の敵である

というセリフが一番刺さった

本当に心からそう思う

無力感は人間を蝕む

泣けるような箇所こそなかったけど考えさせられることは多かった

何というか、主役の青豆も天吾も自分との境遇が似ていた

足して二で割ったような

行動様式、思考回路も何となく

必要悪で色々努力してきたタイプ

でもその中でも目的を見つけていて

そして一人で救かる道を見つけてしまった

常に未来を向いてはいるが

それでも色々諦めが悪く、過去に固執する瞬間もある

親のことだったり、子供時代だったり

自分に重ね合わせて、諭されているように感じる箇所があった

あんな境遇は嫌だったと思っても今になれば、自分は適切な場所にいたと思うんだっていう天吾の言葉とか

天吾が小説家を志したきっかけが書かれていて欲しかった

まだ読み終わってないけど

今24章め

寝ずに読んでいる

何で自分はこんなに本を狂ったように読むんだろうと思っている

自分にとっては

読書でさえ、後天的で必要悪だったのかもしれない

年間百冊読んだってまともな人間にはなれない筈なのに

むしろ浮世離れしていくだけだろう

最後に

ロシアの小説家であり思想家、トルストイが言ったこんな言葉がある

「学問のある人とは、本を読んで多くのことを知っている人である。

教養のある人とは、その時代にもっとも広がっている知識や常識を心得ている人である。

そして有徳の人とは、自分の人生の意義を理解している人である。」

いくら多くのことを知っていようが、何の意義もなければ意味がないということだ

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