尊敬している人はいる?という質問に毎回戸惑う

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こないだ

尊敬している人はいる?

ってきかれて戸惑った

もちろんみんな尊敬してますよと

ヘラヘラして逃げたけど

どんな人になりたいと思っているかと言うことを訊きたいのかもしれない

この手の質問には毎回困る

下手な勘ぐりさせるし

アウトローのストライクからボールになるスライダーみたいな感じ

インコースのどストレートを投げてこいよと思う

まやかしの質問

まるで本質的じゃない

よく面接とかでも訊かれるフレーズかもしれない

面接だったらだいたいどんな人になりたいか、どんな行動指針に共感しているか

わかりやすく尊敬している人のことを伝えられるか

とかみているんだろうなと思う

悩んで最終的に

やっぱ全員尊敬してますと答えた

嘘じゃない

個人的には

”尊敬”とか”憧れ”とか

そういうのはちょっと違和感を感じる

尊敬している人を想像してみて欲しい

憧れと尊敬は微妙に意味が違うけど

”憧れ”って完全に相手を別世界だと思ってないか

それは言い換えるなら

ただ、相手を理解する努力をしようとしてないだけじゃないかと思う

結局何かに置いて活躍した人、歴史を作ったような人は

それ相応の人生を歩んでいて

もしそれを理解したら、憧れなんて言葉はでない

尊敬は出るかも

でも結局尊敬ってなんだ?

って思った時

尊敬とは相手の価値観を認めることだと思う

だとしたら全員尊敬しているし

もし

尊敬している人はいる?

という質問をするとしたら逆説的にその人は

認めていない相手が少なからずいるんだな

そういう競争社会で頑張って突っ張って生きてるんだなぁと思うし

若干封建主義崇拝者みたいな気がしてしまう

大変だぞ〜

そういう鎬を削るような生き方は

逆に尊敬していない人はいるんですか?って訊けばよかった

どんなクソ野郎でも

ガキだと思っても

誰かを尊敬しないなんて決意は

やっぱり狭い範囲、限られた情報で短絡的な評価を下しているだけだったと後になって思うときがある

ちょっと長いスパンで引いて見たらだいたい皆んな人生トントンなんだよ

最近になって割とそういう風に出来ていると思えるようになった

そもそも”正しい”、”適切”というジャッジの仕方、見方は人によって異なるし

ケースバイケースだとおもう

正しいと間違いで生きるのはあまりに辛くて、甘くて盲目だな

恋みたいだ

自分は須く誰でも尊敬している

根本的に

みんな違ってみんないい

人それぞれ違う考え方がある

ヒエラルキーなんてもとよりないでしょ

と思っているから

尊敬している人はいる?と言うのは

問いとして意味を為さない

正直アホくさい

真面目にこんなことを書くのもくだらない

自分は自分で日々自分を超えるために

目標を設定してストイックに頑張る

そしてストイックは必ず楽しさが同居しなくてはいけないと思っている

enjoy stoicは1:1

調味料はバランスが大事

じゃないと不味くなる

幸せは自分の内側につくればほとんど不幸せにならないはず

金科玉条ではない

目標を設定せずに炬燵で寝ててもいい

全て自由

平和主義

シンプルが一番

異論は受け付ける

18世紀の哲学者、ヴォルテールさんが言ったみたいに

”私は君の意見に賛成しない

しかし、君がそれを言う権利は命を賭けても守ろう。”

っていう世界でありたい

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