リユウガナイトキハ

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就職してから将来の目標、過去のしてきたことを訊かれることが多い

そしてそれに対して理由を求められる

理由があるほうが論理的、一貫性があると称賛され

いかにも素晴らしいかのよう

自分の判断基準をしるというのは自分を正しく捉えるのに必要

だけど行動に理由をもとめるのは半分間違っていると思う

理由が要るのは世界を全て知ってるのが前提

自分は世界をまだ知らない

まだ知らないことがいっぱいある

どんな人生がいいのか判断できない

なぜこうどうするか常に理由があるならわかる範疇でしか動けない

そういうところはあきらめちゃだめ

とりあえず味見しないでお土産買わないでしょ

この世界は死後に持ってくお土産選びみたいなもんだから

味見しないと

打算じゃなくて感情に任せて動く奴ほど人生に正直だと思う

あと知ってるから体験しないというのも良くない

頭で完結するなら世界はいらない

頭で他の国の歴史を知っても

実際に見に行かなきゃあたまでっかちの学者と変わらない

可能性を考えずに生き、限られているとも知らない可能性の中で幸せを定義するということがどれだけ残酷だろうと思う

発展途上国の子供たちがゲットーの中で考えつく限りの幸せって

わからないけど彼らに世界を知る権利はある

国粋主義者じゃないけど

”八紘一宇”と

言葉を借りれば

誰にでも知る権利はあるよ

言葉を借りると考えなくなるから駄目だ

最近論理的に生きるのが窮屈に感じる

理由がないことをただ理解してるだけでもいい

無知を感情論で埋めるから

まだ半分モラトリアムを生きさせてほしい

生きることは

生きるということを問うということ

美しいものに出会うということ

という言葉が好き

この世界は若くして死んだ人を憂う文化があるけど

因果関係が逆なんじゃないかと思う

この世界の意味が分かってそれを実行した人から

死ぬと思う

https://www.youtube.com/watch?v=X9t0wZS-8zk

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